弱い時こそ強いと言える

愛する天のお父様。

    感謝いたします。

   

    あなた様を信頼し、あなた様に従うことで、

    私は笑顔になれますから。

    また、喜んでいられますから、感謝いたします。

 

    主イエス様。

    人の考えや思いは醜くて、信頼には値しません。

    ひと度、体が不自由だったり年老いていたり、

    障害など、自分と違う、普通じゃない、と感じるだけで

    見下し、辛くあたります。

    人は、どれ程強くなりたがる生き物なのでしょうか。

    自分に強い力のようなものがあるなら、

    出来る限りの力を使って、だれかのためになりたい。

 

    20年も前になるが、引っ越してきたこの地域に、

    かなりの数の野良猫がいることを知った。

    大富豪だったら、と、どんなに願ったか知れない。

    自分になつかせ、捕まえ、手術。

    当時、ボランティアはなかった。

    出来る限りのことをしても、車に跳ねられたり、病気になったり、

    庭の花の下は、ねこさんたち。

 

    主イエス様。

    私は、弱いから、弱い生き物をそのままにできない。

    もしも、私が裕福で美しく満たされていたら、

    小さな生き物に気づくこともなかったかもしれない。

    子供のころから、ずうっとずっと。

 

    主イエス様。

    世の中は、若くて美しい者が重宝され、

    醜く年老いた者は煙たがられます。

    私も、直ぐにバカにされるのでしょう。

    今でも、愚かな者は年齢の話ばかりして、

    結局、自分の力の誇示をしようとして、首をしめている。

 

主イエス様。

    肉の人が私に何ができるというのでしょう。

    弱い時こそ、強いと言える。

    私の力は、弱さのうちに完全に現れる。

    イエス様の御翼が私を包み込んでくださるから。

 

愛する天のお父様の御名を賛美してお祈りいたします。

                     アーメン