生きることはキリスト。

私にとって、生きることはキリスト、

     死ぬこともまた益です。

しかし、もしこの肉体のいのちが続くとしたら、

     私の働きが豊かな実を結ぶことになるので、

      どちらを選んだらよいか、

       私にはわかりません。

私は、その二つのものの間に板挟みとなっています。

私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。

実はそのほうが、はるかにまさっています。

               [ ピリピ  1 : 21~23 ]

 

 

愛する、愛する、愛する、天のお父様。

   この心と体は

     何て、弱く、もろいものなのでしょう。

私の信仰は弱くて、

この世にあっては、あなた様を一番に考えることが困難になることがあります。

 

病に苦しむ時、人は、自暴自棄になります。

あなた様を讚美して天の御国に入りたいのではなくて

      ただ、苦しみから開放されて死にたくなるのです。

また、心が砕けた時、

人は、体の傷以上にこの世からの離脱を望みます。

      生きている意味を見いだせないからです。

 

愛する天のお父様。

  私は、弱い信仰しかもっていません。

  あなた様が選び、あなた様が生かし、

     ともにいてくださる。

あぁ、それをけして忘れないように、

私の心に、深く、深く、深く、刻み込んでください。

 

生きることはキリスト。

 

あなた様が、よしとされなければ

    天の御国には入れない。

 

それまで、あなた様の戒めを守り、

   あなた様の愛による私で、

    私を必要とする人のために

      祈り生きることができますように。

あぁ、天のお父様。

いつも、私の中におられ、強めてください。

いつも、私を包み込んで、世の荒波からお守りください。

 

今日も一日、あなた様のちいさな器のひとつとして    

      豊かに用いられますように。

 

愛する天のお父様の御名を讚美して

            お祈りいたします。

                アーメン