先生笑わせて。サバ缶。

メッセージはいつも、

    真剣な内容ではあるけれど、

メッセージを話される先生は

    笑う箇所を沢山散りばめて

     話してくださる。

 

マタイ[  7: 1~5  ]

    裁いてはなりません。

    塵と梁   についてのお話だった。

裁き主は主です。と、

    心で誓ってはいても、

    毎日、毎日

裁いている自分がいます。

また、自分をも、価値のない存在だと裁き、

      消してしまいたくなります。

先生が、おっしゃってくださった。

自分をも、裁いてはだめですよ。

神様の愛が、いっぱいふりそそいでいるから泣くんです。

     そうなるんです。

     感謝です。

判断しない。

高飛車にならない。

私たちは、神様の愛によって変えられるもの。

 

主イエス様。

どうぞ、わたしのぼろぼろの器を憐れんでください。

もう二度と振り返らない、そう思っても、

気づくと、

ガラガラと崩れた私の過去と

上から注げば、すぐに漏れる

   心という名前の器。

あと、壊れるのは

   からだ。

 

なんのために生きるのか。

  わからなくなってきた。

あなたに、また、

遭えるのを信じたかった。

   だから、

すてきに、

 

すべて、うそだったの。

ただひとりだけ、

   生きてきて、

    心のささえだった。

 

神様。

光が、光が、

見えない。

 

何のために、必至に生きるのか。

私なんかに逢えて良かったと、嬉しいと

言ってくれる人がいるのかしら。

 

あなたが言った。

せっかく女に生まれたのに。

私のなかのなにもかもが   壊れた。

 

誰にも愛されず、

  誰からも必要とされず、

都合よく使われ、ばかにされ、

  傷ついて

死ぬんだ。

 

気づいたら、あまりにも悲しすぎた。

 

野良猫に愛情を注いだのも、

寂しさを誤魔化すため、

好きだからじゃない。

苦しいから。

 

今日は、無理。

 

なみだがとまらない。